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タモリステーションの見逃し配信と動画無料視聴方法!ウクライナ戦争の真実

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タモリステーションの見逃し配信と動画無料視聴方法!

テレビ朝日で放送された「タモリステーション」第2弾欧州とロシアの狭間で、ウクライナ戦争の真実の見逃し配信、無料フル動画を無料視聴する情報や過去放送回、再放送のことなどについてなどを紹介したいと思います!

ハムレット
この「タモリステーション」は、延べ34年間にわたって『ミュージックステーション』の総合司会を務め、長期間にわたる同一番組への司会によるギネス世界記録に2回目の認定を受けているタモリさんが、自らの持つ知的好奇心をフルに生かし、旬の話題に鋭く切り込むという内容で、話題になっています!

だからこそ、「タモリステーション」を楽しむための方法をご紹介したいのですが、「タモリステーション」は現在動画配信されておりません。

今後、「タモリステーション」が動画配信されるとすれば、それは動画配信サービスTELASAテラサです。

TELASAテラサはテレビ朝日が関わっている動画配信サービスなので、「タモリステーション」が今後配信されるとしたら、TELASAテラサになると思います。

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「タモリステーション」欧州とロシアの狭間で、ウクライナ戦争の真実

ロシアが侵攻したウクライナで、いま何が…。大越健介が緊迫の国境地帯を取材。日々のニュースでは伝えきれない、当事者の人物像と歴史を深く掘り下げる。

「タモリステーション」の出演者

タモリ
大越健介
大下容子(テレビ朝日アナウンサー)
小木逸平(テレビ朝日アナウンサー)

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「タモリステーション」〜二刀流 大谷翔平の軌跡〜

「大谷翔平は“人類として”誇らしい存在!」司会・タモリも感嘆…“リアル二刀流”躍進の秘密に豪華ゲストと特別映像で迫る超大型スポーツSP!

タモリの司会で“野球の神様”ベーブ・ルース以来となる“リアル二刀流”で、メジャー100年の歴史を塗り替えた若き天才・大谷翔平選手の活躍の秘密に迫る、超大型スポーツ特番▼スタジオでは、球界のレジェンドである王貞治氏が大谷選手の打撃の秘密を徹底分析▼また、二刀流の生みの親ともいえる北海道日本ハムファイターズ前監督の栗山英樹氏と共に、大谷選手獲得の舞台裏を振り返ります。

さらに!大谷選手の2021年の躍動を振り返るだけでなく、彼の原点を形作った“3つの導き”を深掘りします。“元祖二刀流”ベーブ・ルースとの時空を超えた共通点も浮き彫りにするなど、あらゆる角度から大谷選手の心・技・体を解き明かしていきます。

「タモリステーション」の出演者

【MC】タモリ
【進行】大下容子(テレビ朝日アナウンサー)
【進行補佐】安藤萌々(テレビ朝日アナウンサー)
【ゲスト】王貞治(福岡ソフトバンクホークス取締役会長兼特別チームアドバイザー)、栗山英樹(北海道日本ハムファイターズ前監督、侍ジャパン監督)、天海祐希

「タモリステーション」天海祐希、思わず涙!大谷翔平選手の心を動かした渾身プレゼン資料

1月28日に「タモリステーション~二刀流 大谷翔平の軌跡~」(夜8:00-9:54、テレビ朝日系)が放送される。昨シーズン、数々の記録を打ち立て、メジャーリーグを席巻した“リアル二刀流”大谷翔平選手の活躍の秘密に迫る同番組では、“二刀流の原点”ともいうべき秘話が明らかに。また、大谷選手を日本プロ野球の世界へと導いたドラフト舞台裏にもスポットを当てる。

同番組では、タモリが司会を務め、ゲストに、福岡ソフトバンクホークス・王貞治球団会長、二刀流の生みの親ともいえる北海道日本ハムファイターズ前監督であり、現侍JAPAN監督の栗山英樹氏、大谷選手のファンである天海祐希が登場。さまざまなキーワードをもとに映像を駆使しながら、大谷選手を解剖していく。

高校時代、投げては球速160km/hの剛腕を見せ、打っては通算56本のホームランを放つ強打者として存在感を放った大谷選手。2012年のドラフト目玉選手として注目されたが、当時、大谷選手は日本のプロ野球ではなくメジャーリーグを目指すと宣言していた。そんな大谷選手を強行指名したのが、日本ハムファイターズ。しかし、18歳の決意は変わらず、入団の可能性はゼロと報じられていた。

だが大谷選手は、メジャー挑戦表明からシフトし、北海道日本ハムファイターズへと入団。大谷選手が日本ハムに入団を決めた理由について探るべく、入団交渉を担当した当時のゼネラルマネージャー・山田正雄氏(現・スカウト顧問)、前スカウトディレクター・大渕隆氏(現・GM補佐兼スカウト部長)にインタビュー。彼らの証言を基に、“入団交渉の真実”、そして“二刀流誕生を決定づけた瞬間”をじっくり掘り起こしていく。

大谷選手が入団を決めたきっかけの一つとなったのが、日本ハム球団が作成した「大谷翔平君夢への道しるべ」と名づけた資料。これは「メジャーのトップ選手になる」「今まで存在したことのない選手になる」という大きな夢を持つ大谷選手に対し、その夢をかなえるために何が必要なのか、客観的なデータを集めてまとめたもの。

全27ページにわたる資料を目の当たりにしたタモリは、「これは…すごいですね…!」「説得力がありますね!」と圧倒された様子。そして、その資料に込めた日本ハム球団の熱い思いを聞いた天海が「大谷選手の夢をかなえるために、その道のスペシャリストたちがこれだけ考え抜いたことにものすごく胸を打たれてしまって…」と、感極まって涙する一幕も。

さらに、栗山前監督が“可能性ゼロ”から逆転獲得を成し遂げた交渉秘話をスタジオで告白。入団交渉の場で栗山前監督が大谷選手に伝えたこと、そして当時胸に秘めていた覚悟を明かす。また、栗山前監督はこれからの大谷選手に向けての期待を語る。

「タモリステーション」大谷翔平“二刀流”の原点「夢への道しるべ」

昨シーズン、異次元の記録を打ち立て、メジャーリーグを席巻した“リアル二刀流”大谷翔平選手。タモリのもと、“球界のレジェンド”であるソフトバンク・王貞治球団会長、“二刀流の生みの親”ともいえる北海道日本ハムファイターズ前監督で、現・侍JAPAN監督の栗山英樹氏、大谷選手の大ファンである女優・天海祐希らが集結し、さまざまなキーワードをもとに貴重映像を駆使しながら、大谷選手を徹底解剖していく。

高校時代、投げては160キロ、打っては高校通算56本のホームランを放つ強打者として存在感を放った大谷選手。2012年のドラフト目玉選手として注目されたが、当時、大谷選手は日本のプロ野球ではなくメジャーリーグを目指すと宣言していた。そんな大谷選手を強行指名したのが、日本ハムファイターズ。しかし、18歳の決意は変わらず、入団の可能性はゼロと報じられていた。

なぜ大谷選手は日本ハムに入団を決めたのか。番組では、入団交渉を担当した当時のゼネラルマネージャー・山田正雄氏(現・スカウト顧問)、前スカウトディレクター・大渕隆氏(現・GM補佐兼スカウト部長)にインタビュー。今だから語れる貴重な証言をもとに、入団交渉の真実、そして二刀流誕生を決定づけた瞬間をじっくり掘り起こしていく。

大谷選手が入団を決めたきっかけの1つとなったのが、日本ハム球団が作成した『大谷翔平君夢への道しるべ』と名づけた資料。「メジャーのトップ選手になる」、「今まで存在したことのない選手になる」という大きな夢を持つ大谷選手に対し、その夢をかなえるために何が必要なのか、客観的なデータを集めてまとめたもの。全27ページにわたる資料を目の当たりにしたタモリは、「これは…。スゴイですね…」「説得力がありますね!」とただただ圧倒された。そして、その資料に込めた日本ハム球団の熱い思いを聞いた天海が「大谷選手の夢をかなえるために、その道のスペシャリストたちがこれだけ考え抜いたことにものすごく胸を打たれてしまって…」と、感極まって涙するひと幕も…。はたして大谷選手の心を動かし、タモリ&天海を感動させた日本ハム球団渾身の資料とは。

さらに、栗山前監督が可能性ゼロから逆転獲得を成し遂げた交渉秘話をスタジオで告白。入団交渉の場で栗山前監督が大谷翔平に伝えたこと、そして当時、胸に秘めていた覚悟を初めて明かす。また、栗山前監督はこれからの大谷選手に向けて期待も。二刀流を育てメジャーへと送り出した名将が大谷選手に求めているのは、いったいどんなことなのか。

「タモリステーション」あこがれの王貞治とも初共演

ゲストにはソフトバンクの王貞治球団会長(81)や前日本ハム監督の栗山英樹さん(60)、女優の天海祐希(54)と豪華な顔触れが集結。あこがれの王さんと初共演で司会を務めたタレントのタモリ(76)は「芸能界に入ってよかったと思う瞬間でした」と感激し、次々と明かされていく大谷選手の秘密に「これホント?」「いやぁ、スゴイねぇ!!」を連発。芸歴47年を誇るベテランも元・野球少年に戻ったかのように興奮を隠せない様子で「すべてがスゴイですね。人間性も素晴らしく、いかに自分がつまらない人間なのか思い知らされて恥ずかしくなりました(笑)」と感想を漏らした。

タモリは長年抱いてきたバットの芯とスイング軌道の関係に関する疑問を王さんにぶつけ、質問をたたみかける姿に同局の大下容子アナウンサー(51)が「少年のようですね!」と驚く場面も。タモリは「我々の世代にとって王さんはスーパーヒーロー。若い頃は一生、お話しなんかできないと思っていました。それが今回、隣に座って僕の質問にちゃんと答えてくださって…。今スゴイことやってるな!と思えてきて、あまり頭が働かなかったですね」と収録を振り返った。

番組では“王さんの目線”で大谷選手の活躍を分析し、栗山さんは大谷選手が日ハムに入団する決め手の一つとなった交渉プレゼン資料「夢への道しるべ」誕生秘話も披露、二刀流の起点になったエピソードが明かされていく。

さらにフリーアナウンサーの久保純子(50)が元祖二刀流のレジェンド、ベーブ・ルースの孫にも単独取材を敢行。超貴重映像も交えながらベーブ・ルースと大谷選手の100年の時空を超えた意外な共通点に迫り、博識で知られるタモリも「これは私も知らなかったですね!」とビックリした。

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「タモリ」について

「タモリ」こと、森田 一義は、日本のお笑いタレント、司会者。福岡県福岡市南区市崎出身。田辺エージェンシー所属。ビートたけし、明石家さんまと共に、日本のお笑いビッグ3の一角を担う。

1982年から2014年まで『森田一義アワー 笑っていいとも!』で司会を務め、「同一司会者により最も多く放送された生バラエティー番組」として、また1984年から現在まで『ミュージックステーション』で司会を務めており、「同一司会者による生放送音楽番組の最長放送」としてそれぞれギネス世界記録に認定されている。

生い立ち
太平洋戦争終戦から一週間後の1945年8月22日に福岡県福岡市に生まれる。後にタモリ本人が2018年5月25日放送の「ブラタモリ」の番組内で語ったところによると、本名の「一義」は、祖父が尊敬していたという政治家・田中義一から名前をもらおうとしたところ、上下の画数の差が大きく「頭でっかちな子供になる」という理由で上下ひっくり返して「一義」にしたものだと言われる。

本人曰く、幼少時代より大人びていて、「偽善」という言葉を知っていたと語っている。幼稚園入園時期が迫り、とある園に見学に行った際に「ギンギンギラギラ夕日が沈む(童謡『夕日』葛原しげる作詞・室崎琴月作曲)」を両手を回転させてお遊戯している園児らを見て、自分には出来ないと入園を拒否したというエピソードがある。

小学校入学に至るまで、毎日、一日中坂道に立って人間観察を行っていたことから坂道好きとなり、後に「日本坂道学会」を設立している。

少年時代
小学3年生のとき、下校途中に電柱のワイヤに顔をぶつけ、針金の結び目が右目に突き刺さって失明。2ヶ月休学して治療したものの、視力は戻らなかった。

小学5年生の頃、予餞会で「喜劇カラス天狗」の台本を書いて披露したが、受けなかった。しかし、後に脚本家として活躍している同級生と再会した際、「面白かった」と評された。スポーツにも興味があり、野球をやっていた。ラグビーなどのスポーツ観戦も興味があるという。

小学生の頃、当時としては珍しい考えの祖母が「今の内から男も料理ができるようにならないと、後々奥さんがいざと言うときに困るでしょ。私が料理をしている姿を見ていなさい」と言われ、毎日祖母が支度する姿を見ていたことが料理を始めたきっかけだという。この頃のことを「小学生時代は、学校から帰ると暇でテレビゲームもなければ、習いごともなく、人を見ているか、坂道を見たり、船を見たり、(祖母の料理支度の見学は)暇つぶしにはもってこいだった」と述懐している。そのため、金銭面にも余裕がなかった学生時代に友人らと料理を作る際には、一人で大体の料理を作ったり、出汁の取り方まで全部覚えていたと語っている。

福岡市立高宮中学校時代には、近所にあった平尾バプテスト教会に通ったという。キリスト教に興味があったわけではなく、宣教師の身振り手振りや喋りが面白いからという理由であり、この経験が後の「インチキ牧師」等に生かされている。なお、このものまねにはモデルが存在し(当教会の宣教師、R.H.カルペッパー)、当教会関係者から見ても「確かによく似ている」そうである。

部活動は、主に剣道と陸上競技を行っており、陸上部で短距離200mを走っていた。

学生時代
福岡県立筑紫丘高等学校へ入学し、剣道部と吹奏楽部を両立してトランペットを担当していた。アマチュア無線クラブにも入っていて、船の無線通信士にもあこがれた。さらに居合道場も通い、二段を取得した。ファンであった地元球団・西鉄ライオンズが身売りをしたため、野球への興味を失う。

高校を卒業後、1年間の浪人生活を送る。大学浪人中はしばしば押入れに篭り、中国や韓国からのラジオ放送を長時間聴いていたことが、「4か国語マージャン」などの「インチキ外国語芸」へとつながった。また、座禅を組んで極度の瞑想に近い経験をしたこともある。

無線に興味があったため電気通信大学を目指したが、物理が克服できず、1年間の浪人生活を経て、1965年に早稲田大学第二文学部西洋哲学専修へ入学。

早稲田大学ではモダン・ジャズ研究会に在籍し、高校時代から引き続きトランペットを担当。同期に増尾好秋、1年先輩には鈴木良雄らがいた。しかし、「マイルス・デイヴィスのラッパは泣いているが、お前のラッパは笑っている」などの批評を受け、トランペットは3日でやめてしまい、代わりにマネージャーと司会を担当することになった。この時期に付けられたニックネームが、森田をバンドマン読みとした「タモリ」である。

その後、学生バンドの司会としてTBSラジオの番組「大学対抗バンド合戦」に出演し、司会の大橋巨泉からその才能を認められている。

大学2年次5月の連休に、友人2人と旅行を計画し、学費用の仕送りを旅行用に一旦充てたが返済されず、自分の授業料の支払いが滞ることとなり、3年次に学費未納のため抹籍処分となった。

帰郷・山下洋輔との出会い
大学を抹籍処分になった後もモダン・ジャズ研究会のマネージャー役を続行し、バンドの司会などでかなりの収入を得ていた。しかし、間もなく叔父に福岡に引き戻され、朝日生命に3年近く保険外交員として勤務し、2歳年上の同僚の女性と結婚した。その後旅行会社に転職し、系列の大分県日田市のボウリング場支配人に転属となった。

1972年、渡辺貞夫の福岡でのコンサートスタッフに大学時代のジャズ仲間がいたことから、コンサート終了後、友人が泊まっていたホテルで終電がなくなる時間間近まで飲みながら話し込んでいた。いざ帰ろうと部屋から出た際、やけに騒がしい一室があり、半開きになっていたドアから中を覗くと、室内ではコンサートに同行していた山下洋輔トリオ(山下洋輔、中村誠一、森山威男)が歌舞伎の踊り、狂言、虚無僧ごっこなどで乱痴気騒ぎをしていた。そこに通りがかりのタモリが乱入し、中村誠一が被っていたゴミ箱を取り上げると、それを鼓にして歌舞伎の舞を踊り始めた。山下トリオの面々は「誰だこいつ?」と動揺するが、中村が機転を利かせてその非礼をデタラメ朝鮮語でなじると、タモリがそれより上手なデタラメ朝鮮語で切り返し、中村とのインチキ外国語の応酬に発展。表情を付けてデタラメなアフリカ語を話し始めた際には、山下は呼吸困難になるほど笑ったという。始発が出る時間まで共に騒ぎ、「モリタです」とだけ名乗って帰宅した。

「この男はジャズファンに違いない」と確信した山下は、福岡市内のジャズバーに「モリタという名前の男を知らないか」と片っ端から問い合わせた結果、「喫茶店の変人マスターでは?」という情報が入り、再会を果たすことになる。この時期タモリは転職して喫茶店のマスターとなっており、ウィンナ・コーヒーを注文すると、ウィンナーソーセージが入ったコーヒーを出すなど、地元では奇妙なマスターとして有名であった。再会後は、山下トリオが九州に赴く際の遊び仲間となり、山下のエッセイ等でしばしば取り上げられるようになった。

1975年の春、山下が行きつけの新宿ゴールデン街のバー「ジャックの豆の木」で、「山下がそんなに面白いと言うのなら一度見てみたい」と、タモリを上京させる機運が高まり、バーの常連(奥成達、高信太郎、長谷邦夫、山下洋輔、森山威男、坂田明、三上寛、長谷川法世、南伸坊ら)により「伝説の九州の男・森田を呼ぶ会」が結成され、会のカンパによって、1975年6月に上京を果たす。

上京時に開かれた独演会では、「4か国語麻雀」や「中国で作られたターザン映画に出演した大河内伝次郎演じる宇宙飛行士が、宇宙船の中で空気洩れに苦しんでいる様子」など、リクエストを含めた即興芸を披露した。

赤塚不二夫との出会い
福岡で生活しつつ、カンパの資金により月1回上京し「素人芸人」として即興芸を披露するという一種の二重生活を開始した。

8月初旬、ジャックの豆の木での独演会に、面白いことをやっている人間がいるという噂を聞きつけた赤塚不二夫が訪れ、その芸に心酔した赤塚は、8月末に生放送が決定していた自らの特別番組へ出演させることを決意する。

放送までまだ日数があったため福岡に帰ることを望んだが、「芸をもっと見たい。福岡に帰したくない」と考えた赤塚の、常人ではありえない発想の懇願方法(当時、赤塚が住んでいた4LDKのマンションや、保有するベンツのスポーツタイプなど、それら全てを自由に使っていい)を了承、赤塚宅での居候生活が始まった。さらに、赤塚から月に20〜30万円の小遣いが渡され、新宿の飲み屋で赤塚や山下らと馬鹿騒ぎしながらネタを作る日々を送ることとなる。

居候の秘訣は「卑屈になるな」であると、ことあるごとに語っているものの、家主(赤塚)は仕事場に寝泊まりしており、「居候」「居候生活」と言っているが、実質は貸与である。

マンションを譲ることになった赤塚は、仕事場のロッカーを倒し、それに布団を敷いて寝場所を確保するなど、侘しい生活を送ることとなる。着る服がなくなりやむなく一時帰宅した際に、探していた服をタモリが着ていたという笑い話がある。

オフィス・ゴスミダ時代
タモリが赤塚宅で居候し、東京に居住することになったのと同時に、「ジャックの豆の木」のA子ママ(A子は匿名ではなく通称)を社長、山下洋輔を常務とするマネジメント事務所「オフィス・ゴスミダ」(「ゴスミダ」はタモリによる韓国語モノマネの1フレーズ)が設立され、所属タレントとなる。同事務所のマネジメントにより、前述の赤塚が出演させたかったバラエティ番組『マンガ大行進 赤塚不二夫ショー』(1975年8月30日、NETテレビ『土曜ショー』にて放送)で、テレビ番組初出演を果たす。放送ではインチキ牧師などのパフォーマンスを次々と披露したが、たまたま番組を見ていた黒柳徹子から「今の人、誰?すごいじゃない」とその夜のうちに問い合わせがあり、次いで『13時ショー』(『徹子の部屋』の前身番組、NETテレビ)の素人芸能コーナー「珍芸スターお笑い大行進」(コーナーMCはラビット関根)に、赤塚とともに2回目のテレビ番組出演をした。京都大学の学園祭に、筒井康隆・高信太郎・山下洋輔とともに出演し、野坂昭如・日高敏隆などの文化人との出会いを果たすが、学園祭主催者と発生した金銭的なトラブルを機に「オフィス・ゴスミダ」は解散した。

赤塚のテレビ特別番組に出演させるという当初の目的を達成した赤塚らは、次の目的を「タモリを芸能界入り(芸能事務所に所属)させる」に設定し、赤塚宅での居候生活は田辺エージェンシー入りする直前まで継続され、途中には妻も呼び寄せている。

赤塚らと飲み屋で騒ぐ中で、放送作家の高平哲郎らとも知り合うなど、芸能界的な人脈も増えていく。売り出すための算段などが練られて、「戦後最大の素人芸人」というキャッチフレーズが作られたり、浅井慎平がサイレント映画の大スター・ルドルフ・バレンチノ風にスタイリングしたアイパッチ姿をトレードマークとするなど、徐々にキャラクターが作り込まれていった。

特異な芸風から所属事務所が中々決まらなかったが、高平の紹介を受けて大手芸能プロダクション・田辺エージェンシーと契約を結ぶ。大恩人ともいえる社長の田邊昭知とは、後に親友になっている。

なお、芸能界入りする際、4つの戒律を自らに掲げたという。

・誰の弟子にもならない
・組織には属さない
・頭をなるべくさげずにカネをもうける
・色紙にサインをするときは、名前の横に添えるモットーのようなものは持たない

田辺エージェンシー所属後
1976年4月、東京12チャンネルの『空飛ぶモンティ・パイソン』で、正式なメディアデビューを果たす。その後、バラエティ番組『金曜10時!うわさのチャンネル!!』(日本テレビ系列)にもレギュラー出演が決まるが、この時期は「タモリ専用のコーナー」で密室芸をするという形が取られていた。30歳で芸能界入りした為、ビートたけし、笑福亭鶴瓶、明石家さんまなどは年齢が下だが先輩になる。

当時の芸は、イグアナの形態模写に代表される体芸、反知性を打ち出した中洲産業大学教授、デタラメ言語「ハナモゲラ」など、他の芸人とは一線を画しており、テレビ的にはキワモノ芸人的存在と考えられていた。本人は、イグアナの形態模写と称してブリーフ一枚で芸を行う等キワモノとして扱われていた当時を「今で言えば江頭2:50が出てきた様なもので、江頭よりもっと気持ち悪がられていた」と評している。

同年10月からは、『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)でパーソナリティを務めるようになり、徐々にマニアックな層からの支持を集めていく。また、この頃、山下洋輔主催の全日本冷し中華愛好会に参加した。

1977年には、赤塚不二夫、滝大作、高平哲郎らと「面白グループ」を結成。週3回以上の宴会を催し、その成果を何らかの方法で発表することを目的にした団体であり、まもなく、坂田明、内藤陳、小松政夫、団しん也、たこ八郎、三上寛、研ナオコ、柄本明、所ジョージ、アルフィー、劇団東京ヴォードヴィルショー(一部メンバー)も参加。ビートたけしも参加しようとしていたが、たけしはタモリの芸風を嫌ってすぐに脱退したという。

なお、同年10月29日、面白グループ旗揚げ公演として、渋谷公会堂で「輝け!第一回いたいけ祭り」という、タモリや赤塚の「宴会芸」を見せるイベントを行う。

1979年には、赤塚が企画した映画『下落合焼とりムービー』に出演。また、1981年には、面白グループ名義で、当時ヒットしていた女子大生2人が執筆した書籍『ANO・ANO(アノアノ)』のパロディ本、『SONO・SONO(ソノソノ)』を刊行するなどしていた。

1980年からは、芸能生活僅か5年のキャリアで、お笑いオーディション番組「お笑いスター誕生!!」に、審査員として出演し若手芸人を講評していた。同番組に出場したとんねるずに対して、タモリ、赤塚以外の審査員らにはとんねるずの芸は不評だったが、2人のみが「何か良いんじゃないか」と高評価であったと後年とんねるずは語り、それ以前から尊敬していたがさらに崇拝度合いが増したと語っている。

1980年代
1980年代に入ってからは、密室芸の披露の場を減らし、『ばらえてい テレビファソラシド』(NHK)、深夜バラエティ番組『今夜は最高!』(日本テレビ系列)などで、知性的な部分を前面に打ち出すようになり、ファン層を拡大していく。ただし、当時は下ネタ発言が多く、夜の番組の芸人というイメージが強かった。

その一方で1980年10月からニッポン放送において、夕刻のナイターオフシーズン放送として主婦向けトークバラエティー「だんとつタモリ おもしろ大放送!」が放送開始。主婦向けに夜の生活秘話などのきわどいトークで人気を集めるようになった。この番組がきっかけになり、1982年、当時フジテレビのプロデューサーだった横澤彪が、「夜の顔を昼に」とタモリを昼の帯番組に起用するという荒業に出る。『森田一義アワー 笑っていいとも!』・『笑っていいとも!増刊号』(フジテレビ系列)は開始当初こそ視聴率が低迷したものの、間もなく人気となり、2014年3月31日の放送終了まで31年半続く長寿番組となった。

また、深夜番組向けであるタモリ本来の芸風を崩さない目的で、所属する田辺エージェンシーが制作に加わる深夜番組『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系列)が放送開始され、30年以上続く長寿番組となっている。

『いいとも』で司会術を磨き、1983年には芸能生活たった8年のキャリアで『第34回NHK紅白歌合戦』(NHK総合テレビジョン)の総合司会を務めることになる。NHKアナウンサー以外が「紅白歌合戦」の総合司会を務めるのは史上初という異例の起用だった。また、1987年4月3日からは音楽番組『ミュージックステーション』(テレビ朝日系列)の総合司会を関口宏から引き継ぎ、2017年には30周年を迎えた。

1990年代
1990年代以降は、趣味や知識(本人曰く「広く浅く」)を前面に打ち出すようになり、『タモリ倶楽部』の他にも、『タモリの音楽は世界だ!』(テレビ東京系列)、『タモリのボキャブラ天国』『タモリのジャポニカロゴス』(フジテレビ系列)、『ブラタモリ』(NHK)などの冠番組を持った。

2000年代
2001年11月5日、友人とゴルフ中、友人の打ったゴルフボールが頭部に当たり、左こめかみ付近を負傷し、15日まで検査入院した。期間中は生放送番組である『いいとも』と『ミュージックステーション』の両番組を欠席し、『いいとも』は各曜日レギュラーが、『ミュージックステーション』はアシスタントの武内絵美アナウンサーとKinKi Kidsら当日のゲストが曲順ごとに輪番制で総合司会代行を務めた。

2002年4月5日、『笑っていいとも!』が放送5,000回を達成。「生放送単独司会世界最高記録」としてギネスブックに登録された。

2002年4月~翌年3月、「TVガイド」創刊40周年のCMに出演。タモリがインチキ外国語を喋るCMで、中国・フランス・ドイツ語バージョンと、韓国・ロシア・イタリア語バージョンが作られた。

2002年5月、『タモリ倶楽部』内企画「プロジェクトSEX 性の挑戦者たち~シリコンの女神を創った男達」が平成13年度 第39回ギャラクシー賞奨励賞を受賞。

2002年8月、23年間マネージャーを務めた前田猛が急性くも膜下出血のため死去。田辺エージェンシー社長の田邊昭知と共に葬儀委員長を務めた。

2004年10月16日、「TOKYO1週間」での連載「TOKYO坂道美学デートNAVI入門」をまとめた書籍『TOKYO坂道美学入門』が発売された。

2006年1月3日、短編映画『やどさがし』公開。三鷹の森ジブリ美術館でのみ上映されている約12分の短編アニメーションで、タモリはすべての効果音や擬音を声で演じた。

2007年2月、鈴木良雄・伊藤潔・五野洋ら共に、ジャズレーベル「ONEレーベル」を設立。「ONE」は「一義」から取られたもの。5月16日に「ONEレーベル」から第1弾CDとして、鈴木良雄トリオの「For You」を発売。12月5日には、第2弾CDとして鈴木良雄率いるBASS TALKの『Love Letter』が発売された。

2007年6月5日、TOYOTAエコWEBマガジン「あしたのハーモニー」が創刊し、編集長を務めた。

2007年9月8日、木村拓哉から直々のオファーを受け、『HERO』に出演。

2007年11月26日、ライブ「中洲産業大学&ほぼ日刊イトイ新聞 presents 『はじめてのJAZZ2 ヒストリーもたのしみなりー!』」(昭和女子大学 人見記念講堂)が開催され、20数年ぶりに中州産業大学・タモリ教授のジャズ講座が復活した。

2008年2月24日、『ANN』40周年記念番組『俺たちのオールナイトニッポン40時間スペシャル』の中で『タモリのオールナイトニッポン』を放送した。

2008年8月2日、赤塚不二夫が肺炎のため死去。7日の告別式ではタモリが生涯で初めて弔辞を読み「私もあなたの数多くの作品のひとつです」と語った。この弔辞は9月刊行の『文藝春秋』(10月号)に全文が掲載された。

マリーナメンバーの高齢化を危惧し、若い世代をヨット界に集めよう、ヨットレース「タモリカップ」を2008年から、ヤマハマリーナ沼津にて開催した。

2010年代
2010年4月9日、第2回伊丹十三賞受賞。「テレビというメディアに『タモリ』としか名づけようのないメディアを持ち込み、独自の話芸と存在感を発揮する稀な才能」と評価された。

2011年10月10日放送の『タモリ・中居の手ぶらでイイのに…!?~ドラマチック・リビングルーム~』が、第49回ギャラクシー奨励賞を受賞。

2012年7月21日から22日にかけて生放送された『FNS27時間テレビ笑っていいとも!真夏の超団結特大号!! 徹夜でがんばっちゃってもいいかな?』では『いいとも』放送30周年を記念し、89年の第3回目以来の総合司会を務めた。

2013年5月、『タモリ倶楽部』が第50回ギャラクシー賞テレビ部門特別賞を受賞。

2014年3月21日、『いいとも!』のコーナー「テレフォンショッキング」に、現役首相として初めて安倍晋三が出演。新聞の首相動静欄に「タモリと会食」と載せたいタモリの要望により、一緒にイチゴを食べるが、翌日、新聞各紙は「会食」に触れず、朝日新聞は「試食」と表現した。

2014年3月31日、『笑っていいとも!』が最終回を迎える。1982年10月4日から続いてきた全8,054回の当番組は、『生放送バラエティー番組 単独司会最多記録』として、ギネス記録に認定された。

2014年9月、サントリー「プレミアムボス」宇宙人ジョーンズシリーズの新CMに出演。『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングを模したスタイルおよびスタジオセットで、イグアナのモノマネなどを披露した。CMのコピーは「この惑星のテレビはタモリがいないと寂しい」。

2014年10月15日、授賞理由は「独自の視点を持つ数多いテレビ番組の『顔』として、日本の笑いを革新した」ことが評価され、第62回菊池寛賞を受賞した。

2014年12月31日、『第65回NHK紅白歌合戦』に審査員として、総合司会を務めた第34回以来、31年ぶりに出演。

2016年、日本テレビ系列スペシャルドラマ『天才バカボン』の主題歌を担当。

2016年6月、一般社団法人めぐろ観光まちづくり協会の名誉会長に就任。

2016年12月19日、『SMAP×SMAP』内企画『ビストロSMAP』の最終回に、最後のゲストとして出演。実食のコーナーでは、中居の提案とタモリの発声で、タモリとSMAPの6人皆で食事を楽しんだ。勝負の判定で、タモリは「最終回だから判定はしない」「どっちも美味しかった」「人生で判定なんかどうでもいいこと」として、判定なしとした。また、勝者へのプレゼントでは、SMAPメンバー5人分を用意し、星型のオブジェにSMAP×SMAPのロゴと、メンバーの名前、タモリの名前が入った小物を贈った。 

2018年7月19日に発売された週刊新潮2018年7月26日号において、脚本家の中園ミホとの不倫密会が報道された。しかし、所属事務所の田辺エージェンシーは報道を否定した。

2018年10月1日、福岡県うきは市出身の妻の縁で、うきは市の「ふるさと大使」に就任。任期は2020年6月末まで。

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